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甲府地方裁判所 昭和37年(ワ)239号 判決

原告 国

訴訟代理人 朝山崇 外三名

被告 立川友太郎

主文

被告は原告に対し、甲府市美咲二丁目一一九番地の五、宅地三一、九〇平方メートル(九坪六合五勺)及び同所同番の八、宅地一七八、八七平方メートル(五四坪一合一勺)を明渡し、かつ昭和三七年四月二一日から右明渡しに至るまで、一ケ月につき金一四円三九銭の割合による金銭を支払わなければならない。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、先ず、原告は本件土地を所有していると主張するので、この点について検討すると、〈証拠省略〉によれば、本件土地は「御料地」として、明治三四年当時から旧宮内庁御料局が所有し、その後国(大蔵省所管)が所有するに至つたことが認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。そこで次に、被告の取得時効の抗弁につき判断する。

〈証拠省略〉を総合すれば、被告の父立川重一は、昭和一七年四月三〇日千塚村外一ケ村組合から本件土地の隣接地である甲府市塩部町西久保二六四〇の一、雑種地二筆を被告名義で払い下げをうけ、その頃から同人は、本件土地の開墾耕作を始め、被告は昭和二〇年以降初めて右重一と共に本件土地を耕作してきたところ、右重一は昭和三六年三月二〇日に死亡し、以後は被告が本件土地の占有を継続してきた事実を認めることができ、右認定に反する被告本人尋問の結果は信用できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。ところで被告は父重一が本件土地の占有を開始したのは、昭和一七年四月一日であると主張するが、右主張は前記認定のとおりこれをにわかに肯認することができず、右開始日時は昭和一七年四月三〇日以降であり、それ以後は重一が、その死亡時である昭和三六年三月二〇日まで占有を継続したものであると認めるのが相当である。そうとすれば、重一は昭和一七年五月一日以降本件土地を所有の意思をもつて平穏公然且つ善意で占有していたものと推定することができ、他に右推定を覆えすに足る証拠もない。尤も前掲〈証拠省略〉には前示のとおり本件土地売買の当事者として被告名義が用いられているが、これも重一が便宜に被告の名義を用いたにすぎないものと認めるのが相当であること前記認定のとおりであつて、他に右判示を左右するに足る証拠はない。

そこで進んで、右重一の本件土地の占有開始に当つて、同人が本件土地を自已の所有に属すると信じたことに過失はないか否かの点について判断する。本件払い下げは、その実質において不動産の売買であるから、そのような場合には、取引の当事者である重一において、千塚村外一ケ村組合から土地境界について指示をうけ、隣接所有者や登記簿、公図などにあたつてその払い下げをうけた土地の境界を明確にし、他人所有地をみだりに侵さない措置を溝ずべき義務があるというべきであり、しかも前掲〈証拠省略〉に照せば、払い下げ土地は約二六七坪であるのに、本件土地を含め重一が払い下げ土地と信じて開墾した土地は、合計約四四〇坪もあり坪数に著しい差があることが認められ、当然払い下げ土地の範囲に疑念を懐くべき状況にあつたのに重一が前記注意義務を尽して払い下げ土地と他人の所有地の区域を確認した事実を認め得る資料はない。そうとすれば重一が本件土地の占有のはじめこれを自已の所有に属するものと信じたことに過失がないということはできず、従つて無過失占有による一〇年の時効取得の主張はこれを認めることができない。

そこで次に被告の二〇年の時効取得の抗弁、及び原告の時効中断の再抗弁について判断するに、被告の右主張はその始期を昭和一七年四月一日としているが、右始期は同年五月一日であること前記認定のとおりであり、その後重一、被告の占有状態が被告主張のとおり継続されたことは上段判示のとおりであるがその後時効完成前である昭和三七年四月二〇日、原告は本件土地の明渡しを請求する旨の催告を被告宛になしたことは当事者間に争いなく、又同年一〇月一七日当庁へ本訴を提起したことは、当裁判所に顕著な事実であり、右事実によれば、昭和一七年五月一日を始期とする二〇年の時効は、その完成前に中断されたことが明らかであり、従つて被告のこの点に関する主張も結局認めることができない。よつて被告の抗弁は理由がない。そうすると被告が現に本件土地を占有していることは被告の認めて争わないところであるから、被告は原告に対し、本件土地を明渡すべき義務あるものといわなければならない。

二、そこで損害金の請求について検討する。

原告は、被告が昭和一七年四月三〇日から本件土地を占有して原告の本件土地の使用を妨げていると主張するが、右主張がその日時の点においてまず認められないことは、前記認定のとおりであり、又本件払い下げに直接関係しているとは認められないこと上段認定の如き被告に対し、右払い下げ後の昭和二〇年以降、父重一と共に本件土地の耕作をはじめたからといつて直ちに重一と共同の占有者になつたものと解することはできずむしろ重一の耕作補助者、占有補助者と解するのが相当である。従つて被告による本件土地の占有は、父重一死亡日の昭和三六年三月二〇日以降のものと認めるのが相当である。そうとすると、被告は、右日時以降原告の所有地を無権原で使用してきたことになり、そのような場合には、特段の事情のない限り被告は右使用により原告に対し故意又は少くとも過失により右土地の使用料相当額の損害を蒙むらしめているものといわなければならない。しかし本件においてこれをみるに、本件土地の占有は、父重一において隣接地払い下げをうけた際、本件土地もこれに含まれたものと信じ(信じるにつき過失があつたとしても)昭和一七年以降昭和三六年三月まで平穏公然に占有を継続してきたのであつて、被告はこれを実質上は相続により承継したと認めるを相当とする事情にあることは前記認定のとおりである。そうとすれば、右の如き重一の本件土地に対する占有状態を引きついだ被告が、本件土地を自已の権利に属するものと信じた点につき過失ありとして責めることは酷にすぎるものと解せざるを得ない。しかしながら少くとも前記認定の昭和三七年四月二〇日の原告から明渡し請求があつた時点においては、被告は自らの本件土地占有の権限につき調査すべき義務があるというべきであり、被告本人尋問の結果によつても被告が右義務を尽した事実は認められないから、被告が右義務を怠つた右日時以後は、過失によつて本件土地を占有し、原告の使用収益を妨げてきたものといわなければならない。従つて原告請求の使用料相当の損害金は、右催告の到達した日迄は、不法行為の責任が認めがたいものとして失当と解すべく、右到着の翌日の昭和三七年四月二一日からはその責任を負うべきところ、被告は原告主張の使用料相当額について明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべく、以上の判示によれば、被告は結局昭和三七年四月二一日以降本件土地明渡しに至る迄、不法行為者として一ケ月金一四円三九銭の割合による金銭を支払うべき義務がある。

三、よつて原告の所有権に基づく本件土地の明渡し請求は、これを正当として認容し、損害金の請求は、前記の限度においてこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。なお仮執行の宣言の申立については、その必要がないものと認め、付さないこととする。

(裁判官 小河八十次 清水嘉明 須藤繁)

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